仮設住宅へ(陸前高田)
9月に陸前高田へ初めて訪れたときから3か月。
被災した方々から伺うここで起こったこと、津波が残した巨大な傷跡に圧倒されっぱなしだった。
現実に起こったことや目の前にあることをうまく受け入れられず、私達は混乱していた。
それでも早く同じ場所へ再び来たいという思いがあった。
それは9月に炊き出しをした後、急きょ近くの仮設住宅に料理と食材を届けに行ったことがきっかけだった。
持っていった食材では数が足りず、集まった方をがっかりさせてしまうことがあったのだ。
レトルト食中心の暮らしを続けている中においては、温かい手料理は久しぶりという方も多く、
その時のがっかりとした姿は脳裏に焼き付いて離れなかった。
炊き出しのメニューはカムチャンサムギョクサルどんぶり(醤油漬け甘辛豚バラ丼)、トックスープ(韓国のお雑煮)、キムチ。
前日から150世帯・450人分の下ごしらえを整え、調理器具やガスボンベなどを3台の車に分けて積み込んだ。
今回は敷地内にある集会所から電源と水を使えることになり、炊飯器を8台持参して手間の省力化を図ることができた。
また、食器やおはしは各々で持参してもらうことで、私達はおいしい食事をつくることに専念した。
皆さんが手に持つ食器は様々で、夜帰宅する家族の分をと片手鍋を持ってくる方もおられた。
食材は余裕を見て用意していたのだが、残らず配り終えることができた。
9月に料理を渡せずにがっかりさせてしまった方に再会することができ、今回はちゃんと手渡しすることができた。
10日の朝の気温は-3°。
雪は降っていないが刺すような寒さ。
仮設住宅の断熱工事が急ピッチで進んでおり、敷地内にはエアコン設置業者の姿も見受けられた。
今回はこれから厳しくなる冬に備え、ご厚意で集まった防寒着や手袋・毛布・マフラー等を持ち込んだ。
楽しく選べるようにハンガーにかけ、気に入ったものを持ち帰ってもらった。
しかしまだまだ防寒着や毛布は不足しているそうで、毛布はすぐになくなった。
部屋の断熱が不十分なのか、部屋を暖めると結露がひどいという。
新年を温かく迎えるにはまだまだ足りないものがたくさんあるようだ。
仮設住宅は市街地近くの丘の上にある。
市街地には何も残っていないため、近くには買い物に行く場所や娯楽施設がない。
まとまった買い物をする際は一関あたりまで足を延ばすしかないそうだ。
ここでの暮らしは「仮設」の箱に住むという内的不自由さと、
施設が欠落した街の中で活動しなければならないという外的不自由さとの板挟み状態。
引きこもり勝ちになり、鬱状態に陥る方も多い。
そのような状況の中では炊き出しやイベントごとが重要な役割を果たす。
部屋の外に出るきっかけとなり、人と会話する機会を生み出す。
バラバラになってしまったコミュニティの再生。
それを加速させる作用があると、現地窓口になっていただいた金氏は言う。
炊き出しを終え帰路につく際、数人の方が出口で待っていてくれた。
そして笑顔で見送ってくれた。
大切につくった自家製のたくあんをお礼にと頂いた。
家族を失い大切なものを失ってなお他人のことを気遣う人の強さとやさしさ。
一日でも早く安心して暮らせるよう心から願う。
気仙沼
一関から陸前高田に向かう際、気仙沼の市街地に立ち寄る。
巨大な鉄でできた船が街の真ん中に横たわっている。
紙屑のようになった自動車が船底に敷かれている。
被害があまりにも甚大なため、一見するとあまり変化ががないように見えるのだが、
道路の整備は進み、9月に見た状況に比べると瓦礫の撤去はかなり進んでいるように見受けられた。
復興には長い時間がかかるだろう。
そして多くの痛みを伴うだろう。
もくもくと瓦礫を撤去している作業を見ていると必ず道は開けてくると感じる。
これを乗り越えた時、日本を牽引する新しい街になることを期待してやまない
参加
- 丁仁英
- 西村祥子
- 三部由夏子
- 三苫健次郎
- 菅野知良
- 小林亜希子
- 川崎真琴
- 草島智道
- 上村昭則
- 田中博亮
協力
- 櫻井雅子
- 長岡真里
- 上和田久美子
- 大井美穂子
- 簗瀬真由子
- 福間祥乃
- 金田みゆき
- 原田往子
- maturense
- 管隆志
- 岡本美都夫
- 古賀正章
- 高須里美
- 吉村奈穂
- あそび心研究所
- 大人なのに無茶する会
- 陸前高田ボランティアセンター
- 世田谷区立深沢児童館
- RUCKSACK SPACE DESIGN