被災地へ(陸前高田)
震災から半年。
被災された方々にとってどのような時間だっただろうか。
私達はメディアを通して経過を見聞きしているものの、時間と共にリアリティは希薄になり記憶は曖昧になりつつある。
避難生活者は9月1日現在で3万8000人。5月時点での12万人という数値に比べると大幅に改善されたように見える。
しかしそこには仮設住宅生活者4万5000人は含まれていない。
プレファブのボックスに移動した時点で被災者としてカウントされないのである。
実際の生活環境はどのようなものだろうか。
失った家族や友人、消え去った家、大切にしていたもの全て。
損なわれた精神的支柱と、現実社会で直面する諸問題との板挟みから脱するには、それなりの時間と手厚い保護が必要。
陸前高田ボランティアセンターには400名近くのボランティアが活動を続けているが、全く手が回らない状態が続いている。
これまで私達は福島の避難所で炊き出しを行ってきたが、今回は少し状況が異なる。
開催地は岩手県にある陸前高田市。
津波によって壊滅的な被害を受けた街である。
「避難所」ではなく「被災地」に足を踏み入れるのはこれが初めてであり、開催地である河川敷には屋根も電気・水道もない。
往復1100kmの移動に耐える食材の衛生管理、水を含む全ての材料・機材の持ち込みが必要となった。
今回の炊き出しのイベントは支援団体「縁起屋」斎藤亮氏の呼びかけ「希望の気球」をお手伝いする形での参加である。
彼は3.11から間もない頃このプロジェクトをスタートさせた。
文字通り手さぐりで地元と行政との協議を重ねようやく実現に至ったのだ。
会場には早朝にもかかわらず多くの方が足を運び、正午には延べ400人が気球に乗って景色を楽しんだ。
巨大な気球は時折バーナーから轟音を発し、ゆっくりと空に浮かぶ。
しばし日常を忘れさせ、乗った人を笑顔にする不思議な力をもった乗り物。
炊き出しのメニューはサムギョクサルどんぶり、カレーライス、キムチ、パウンドケーキ。
前日からメンバー総出で300人分の下ごしらえを整え、加熱・炊飯は現地で行う形をとった。
普段食事はレトルト食品がほとんどという方が多く、「手作りの料理は久しぶり」と喜んで頂けたようだ。
イベント終了後、カレーと持参した食材や菓子と共にトラックの荷台に乗り、第一中学校にある仮設住宅に届けに行く。
ここでの食材不足は深刻で、持参した食材はすぐに底をついてしまった。
食材が行きわたらず、がっかりとした表情で仮設住宅に戻る姿は、避難生活の過酷さを感じさせる。
気仙沼
東京に帰る際、港と気仙沼に立ち寄る。
目に入ってくるのは紙くずのようになった車、砕けた電柱、スケルトンだけの建物群、泥まみれの畳の山。
3.11、この中に多くの人が巻き込まれて命を落とした。
瓦礫は当時の壮絶な状況をかろうじて今に伝える数少ない手がかりである。
復興が進むにつれ、間もなく瓦礫は処分され、破壊された建造物も解体されるであろう。
震災の傷跡は消え、少しづづ人々の記憶からも生々しさは薄れていく。
私達は震災の姿を目に焼き付け、長い帰路についた。
参加
- 丁仁英
- 江馬優子
- 岡本美都夫
- 大澤沙絵子
- 西村祥子
- 三苫優仁
- 三苫健次郎
協力
- 江馬則子
- 三部由夏子
- 櫻井雅子
- 長岡真里
- 吉原淳子
- 上和田久美子
- 今成晃子
- 大井美穂子
- 尾澤律子
- 飯久保京子
- 石川ひろみ
- 黒崎みどり
- 玉川慶姫
- 田邊晋代
- 千葉知子
- 山下文子
- 安井能理子
- 藤田奈緒美
- 吉田佳寿子
- 奈良友里
- 簗瀬真由子
- 縁起屋
- 大人なのに無茶する会
- 陸前高田ボランティアセンター
- 世田谷区立深沢児童館
- RUCKSACK SPACE DESIGN